Pekoのブログ

世の中のこと

アルクトゥルス人的概念と機能言語学的視点の共通点

アルクトゥルス人より地球人へという本がHappyさんの動画で紹介されていたので、興味が沸き購入してみました。

 

これは、タイトル通り、アルクトゥルス人という宇宙人から、私たち人間に対して発せられたメッセージ内容になっています。

 

本書によると、はるか昔、アヌンナキと呼ばれる宇宙人が、自分たちの存続のために必要な物質(金)を採取するために、地球にやってきたそうです。その採取のために交配によって生み出されたのが人間だとのこと。

 

用を果たしたアヌンナキたちは、帰っていきましたが、未だに奴隷のように「金」を採取し続けているのが、私たち人間で、そうした苦境から人間を救い出すのがアルクトゥルス人の役目だということです。

 

本書を通じて、アルクトゥルス人たちのメッセージをチャネリングした内容が書かれてて、内容的には、先程書いたように、スピリチュアルを信じる人にとっても、かなりぶっ飛んだ内容です。

 

ところが、書かれている内容の一部が私の専門である言語学の観点からも、かなり信憑性が高いものとなっており、今回レビューをするに至りました。

 

気になった部分を以下に引用してみます。

 

テレパシーによるホログラフィ交信を使えば、人類の全歴史も、あなたがたがいま直面している状況も、未来の可能性もまるごと一瞬で伝えることができます。 

 

ここでは、アルクトゥルス人は、言葉ではなく、ホログラフィを使ってコミュニケーションを取っていることがわかります。また、自分が実際に経験していない情景も過去、現在、未来という時空を超えて、伝達できることが示唆されています。

 

私(アルクトゥルス人)の観点からすると、句読点とは、テレパシーのホログラムにおける波動の区切り目のようなものです。あなたがたの道路標識にも似ています。それは今しがた後にしてきたものと、これから入っていくものについて重要な情報を与えてくれます。 

 

さて、ここからが選択体系機能言語学(Systemic Functional Linguisitics、以下SFLと略す)の観点と共通してくる部分なのですが、 SFLでは、「人間が言葉を発する行為は、量子場を区分けする作業」として捉えています。つまり、言語を生成する人物にとって量子場において、最も印象的な部分を言語化することによって、経験として他者に伝えられる形式になるということです。

 

これを換言しますと、「この世の中で起きる、または存在する事象は、もともと何も起こっていないし、何も存在していない」と解釈していることになります。

 

ただ、量子場だけがそこにある、ということになります。

 

と書くと、当然、「いやいや、昨日、車ぶつけられたし、嫌な人間もいるし、嫌な出来事もあるじゃないか」と反論する人もいるかもしれませんが、それでも、「嫌な人間」や「嫌な出来事」という"言葉"で量子場を区切った本人の中にのみ存在しているという解釈になります。

 

例えば、「あなたはなぜ日本に来たのですか?」というのを英語に直してみてください。

 

おそらく、Why didi you come to Japan?と答えた方が多かったのではないでしょうか。

ところが、これを英語のネイティブにやってもらうと、What brought you to Japan?と表現する人もいるのです。

 

単に、「あ、そういう表現があるんだな」で終わらずに、SFLの観点からこの2つの表現を分析すると興味深い"世界観"の違いが見えてきます。

 

Why did you come to Japan?の各々の要素にラベルを貼るとこうなります。

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 ここでは、youという個体を日本に行かせた要因は、youなんですよ、という世界観が読み取れます。つまり、「日本に行く」という現象を引き起こしたのは、あくまでもyouという行動主です。

 

それに対して、What brougt you to Japan?と言った場合には、youは行動主ではありません。対象となります。ここでは、「日本に行く」という現象を引き起こしたのは、What(モノ・コト・ヒト)であってyouではないんです。

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この両表現からどのような世界観の違いが読み取れるのか、もう一度整理します。

 

前者では、「物事の変化を起こす主体は、その行為を行うヒト」という世界観です。

後者では、「物事の変化を起こす主体は、その行為を行うヒト"以外"」ということになります。

 

世界観が異なるとは、同じ事象を表現するのに、人によって、量子場の切り取り方が異なっているということです。

 

ちなみに、こうした世界観の違いは、アジア的思想と西洋的思想の違いに起因しています。

この違いについては、ここでは詳しく説明しませんが、興味のある方は、以下の本を読んで見てください。

 

木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか

さて、こうした本来そこには何もない状態を言語を使うことによって、区分けできるようになります。これが、アルクトゥルス人の言う、句読点、道路標識、すなわち記号(言語)を用いてのコミュニケーションということになります。

 

アルクトゥルス人によると、こうした記号を用いないコミュニケーションの手法が、テレパシーによるホログラム交信だということです。

 

そして、私がアルクトゥルス人の概念とSFLに共通点があると確信したのは、彼らの時制概念について知ったときです。

 

本書では、アルクトゥルス人たちの時制概念について、こう書かれていました。

 

あなたの言語がインド・ヨーロッパ語族に属していれば、言葉そのものに時制があるでしょう。それが現在なのか、過去なのか、未来なのかという、3つの明確な時間区分によって叙述されます。ですから、現在・過去・未来の3つ全部が一度に存在することはありえないでしょう。

 

このことから、アルクトゥルス人たちは、これら3つ全部が一度に存在していると認識していることが分かります。(この辺は、昨今のスピリチュアル業界でも言われているパラレルワールドの概念にも似ているのではないでしょうか。)

 

SFLでも、同様の時制概念があります。「定性」です。

 

定性とは、正確に言うと、時制以外にも法性、極性も合わせたものを指します。

時制とは、そのままです。その出来事が、いつ(過去、現在、未来)起こったのかを明示する言語機能です。

 

法性とは、モダリティなどとも言いますが、「その発言内容がどの程度確実に起こり得るのか」を表す心的状況を示す機能のことです。

 

例えば、「明日は雨が降るかもしれません」といった場合の「~かもしれません」のような言語表現のことです。「雨が降ります」と断定できないような場合、法性を使って、話者がどの程度その発言内容が起こり得るのかを示す役割を果たしています。英語で言うなら、can, may, willなどの助動詞と呼ばれるものです。

 

そして、極性とは、肯定か否定かを表す言語機能です。「明日、雨が降るかもしれない」といった場合には、雨が降るという事実に肯定的なのに対し、「雨が降らないかもしれない」と言えば、否定的な姿勢を表すものになります。あくまでも、現時点での予想ですから、100か0ではなく、どっちか寄りの意見しか言えないわけです。だから、極性と言われています。

 

いずれにしましても、「雨が降る」という現実は今起こっておらず、そういう「概念」のみが存在しているわけですから、その概念が起こり得るのか(肯定)、起こりえないのか(否定)の判断を言葉によって行っているという段階です。

 

余談ですが、引き寄せの法則などではよく、「否定形でお願いしてはいけない」と言われます。「試験に落ちませんように」「病気になりませんように」と言うと、実際に、試験に落ちる現実が引き寄せられる、病気になる現実が引き寄せられる、というわけです。

 

これも、極性の概念に基づくならば、「試験に落ちる」という概念がまず前提としてあり、そこに落ちる(肯定)、落ちない(否定)という極性をつけているだけなので、結局は「試験に落ちる」という範疇で右往左往していることになってしまうのです。

 

以上、時制、法性、極性の3つが定性を構成している要素になり、この定性があるからこそ、私たち人間は、「地球」すなわち3次元空間という場において議論ができるようになるわけです。

 

この定性の役割は、SFLでは、down to earth(地に降ろす)という言葉で表現されているのも大変興味深いです。

 

このように、この本に書かれている内容の中に、現代の言語学の考え方にも共通するものがあり、いてもたってもいられなくなり、記事にしたわけです。

 

アルクトゥルス人たちは、5次元の世界に住んでいると言います。

 

もし、このまま、人間も次元上昇して、3次元以上の存在になれば、もしかしたらホログラム共有のような高度なコミュニケーションができるようになるのかもしれないですね。

 

最後に、SFLの参考文献も挙げておきます。

 

入門編はこちら

ことばは生きている―選択体系機能言語学序説

 

英語が読める方はこちら

An Introduction to Systemic Functional Linguistics

ガチで学びたい人は

Halliday's Introduction to Functional Grammar (Hallidays Introduction to)

スピリチュアルの歩き方、パート2

スピリチュアル分野でよくある教えが、

 

「あなたは愛されている」

 

「最後は大丈夫」

 

です。これは、真実です。

 

しかし!!

 

こうした言葉に甘えて、本当に"実際に"自分のハイヤーセルフの声に従わないと、暫定的に、お叱りを食らいます。

 

物質的に、被害をこうむります。

 

あなたの進むべき道筋は、そっちではないですよ。と。

 

そういう、「声」に従わないと、もっと怒られます。しんどいです。

 

それでも、、、大丈夫なんですが、、、

 

その声に従うことが、あなたのミッションです。

 

怖くても。

 

死にそうに怖くても。

 

そのミッションに従うことが、あなたの身内を幸せにします。

 

人類を幸せにします。

 

宇宙を拡大させます。

 

「怖くても従う」です。

 

それがあなたが「愛されている」という真の意味だということです。

 

 

言語学の観点から読み解くルーク(スターウォーズ)の3つ目の教えとは(ネタバレ注意)

2017年末に公開されたStar Wars: The Last Jediでは、ジェダイマスターであるルークが、ジェダイの教えを主人公であるレイに語るシーンがあります。

 

最初、ルークは、その教えが3つあると言っているのですが、実際の映画では、以下の2つしか"ルークの口からは"明確に説明されていません。("ルークの口から"というのがポイントです)

 

1、フォースは、ジェダイのみが支配するわけではない

2、ジェダイが作ってきたのは負の遺産

 

なぜか、3つ目は映画を最後まで見ても、はっきりとは出てこないのです。

 

この点に関して、いろいろと気になって、海外のサイトも含めていろいろと調べてみたのですが、これといって決定的な答えは見つかっていないようです。

 

一番、有力な説が、このサイトにも記載されています。サイトによると、約20分間のカットシーンがあり、その中でルークが3つ目の教えを伝えているというのです。

 

そのカットシーンでは、ルークとレイが会話をしている最中に、ボートが島に近づいて来ます。ルークは、彼らは海賊で、島のケアテイカーたちから物を奪いに来ていると言います。それを聞いたレイはすぐさまライトセイバーを持ち、ケアテイカーたちを救出に向かいます。

 

実際に、海岸に着いてみると、海賊ではなく、ケアテイカーたちがパーティーをしている光景が広がっていました。レイは、ルークにだまされたと思い、憤慨してルークに問い詰めると、こう言います。

 

"that that’s exactly what the resistance needs – not some old husk of a failed religion. "

(それがまさしく、レジスタンスが必要としていることなんだ。老いぼれのジェダイの教えなんかではなくね。)

 

つまり、"誰かの教えを請うのではなく、実際に行動することが大切なんだ"ということを3つ目のレッスンとしてルークは伝えたかったんだ、と主張しています。

 

ところが、なんとなく最後の教えとしては、陳腐な感じがします。どことなく、ありきたりな内容のような気もします。

 

さらに、ルークは、これが"3つ目の教え"とは、はっきりと述べていない点も気になります。(1つ目、2つ目ははっきりと言っています)

 

中には、エピソード9で、霊体化したルークが語るんじゃないか、という噂まで出てきています。

 

では、3つ目の教えとは何なのか?

 

以下は、あくまでも事実関係を結びつけた上での推測の話としてお読みください。

 

まず、大切なことは、この教えを三つ個別に考えるのではなく、3つで1つと考えることです。すなわち、3つが揃って、一貫した教えになるということです。

 

では、その一貫生とは何でしょうか?

 

教えの1つ目、2つ目にも関連していることですが、ルークの基本的な姿勢は、「ジェダイ(ライトサイド)の正しさ」を主張することではなく、シス(ダークサイド)と共存することで「バランスを保つ」ことの大切さです。

 

つまり、世の中を支配するフォースは、ライトサイドとダークサイドの両面があって成り立っているということです。

 

1、フォースは、ジェダイのみが支配するわけではない

 

この教えは、わかりやすいでしょう。では、次を見てみましょう。

 

2、ジェダイが作ってきたのは負の遺産

 

これに関しては、これまでのすべてダークサイドの台頭(帝国、ファーストオーダー)は、ライトサイドが引き起こしたということです。つまり、

 

スターウォーズの歴史を振り返っても、ライトサイド→ダークサイド→ライトサイドとどの覇権が交互に入れ替わっていることがわかると思います。

 

この世の中のバランスの概念についてはこちらの本を参照ください。

スター・ウォーズ ジェダイの哲学 :フォースの導きで運命を全うせよ

ここでも、世の中のバランスのことを説いているわけです。

 

さて、ここまで、2つ目の教えは、「バランスの大切さ」が一貫して示唆されています。

 

同様の目線で、3つ目の教えも見ていきます。

 

ここからは、完全に私の独自の視点となりますが、結論からいうと、「ルークは、あえて3つ目の教えを語らなかった」となります。

 

この点について解説する前に、一旦、話を言語学の話にします。

 

言語学の考え方の中に、系列的関係性(Paradigmatic relation)というものがあります。

 

これは、言語で、A-B-C と並んだ要素の中で,例えば A の代わりに A' や A'' や A''' が現われることも可能だったし,B の代わりに B' や B'' や B''' が現われることも可能だったが,ここでは A と B がそれぞれ選択されたと考えます。

 

このとき,A, A', A'', A''', etc. や B, B', B'', B''', etc. の各要素間は系列的関係 (paradigmatic relation) にあるといわれます。

 

例えば、I want to eat ramen.と言った場合、それ以外に、

 

I want to eat soba.

I want to eat udon.

 

と言う話し手の選択の可能性があったわけです。

 

つまり、I want to eat ramen. と言った場合、間接的には、

 

I dont't want to eat soba.

I don't want to eat udon.

 

と言っていることと同じことです。

 

つまり、人間は、Aという発言をしたときには、自動的にAと対極にあるA'、A''、A'''を同時に想起しているということになります。

 

もう一つ例を出しましょう。

 

あなたは、下の女性の写真を見て、どう思いますか? 

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 「綺麗」、「可愛い」、「美人」という言葉を思い浮かべる人が多いことでしょう。

 

こうした言葉が出てくるのは、世の中には、「ブサイク」、「醜悪」、「ブス」という容姿をした女性がいるからこそ、生まれてくるのです。

 

世の中、全員、石原さとみのような容姿であれば「綺麗」、「可愛い」、「美人」「ブサイク」、「醜悪」、「ブス」という言葉は生まれてこないのです。

 

つまり、我々は、ある言葉を発すると同時に、その言葉の対極にある概念も同時に頭に思い浮かべている(意識的にしろ、無意識的にしろ)ということになります。

 

別の言い方をすると、これら対極の言葉が存在するということは、当然、現実世界には、それらの言葉が差し示す事物(ソシュールの言うシニフィエ)があるということになります。

この「美人」と「ブス」が差し示す事物がセットになって「女性」を構成することになります。

 

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つまり、「ある言葉を発することは、物事の一面を切り取り、焦点化させる機能がある」ということを覚えておいてください。

 

さて、スターウォーズに話を戻しましょう。

 

 ルークが、最後のジェダイの作中で、ライトサイドであるレイと、ダークサイドであるカイロ・レン2人に共通に投げかける言葉があります。

 

Every single word that you're making is wrong.

(お前が発する言葉一つ一つが間違っておる)

 

まだDVDが発売されていないので、正確な言葉は覚えていませんが、上記のような言葉を2人に違う場面でルークは投げかけています。

 

その場面とは、レイとカイロ・レンがお互いの信念について述べた直後にルークが発しているのです。

 

「ある言葉を発することは、物事の一面を切り取り、焦点化させる機能がある」という言語学の系列的関係性のことを思い出して見ましょう。

 

つまり、

 

レイが発する言葉=ライトサイドの側面

カイロ・レンが発する言葉=ダークサイドの側面

 

と捉えることにより、ルークは、2人に共通して伝えることは、

 

「お前たちが見ていること(考えていること)は、物事の一面であり、すべてではない」

 

と伝えていると考えることはできないでしょうか。

 

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だから、ルークは、あえて3つ目の教えを言葉にはしなかったのです。

 

言葉にするということは、物事の一面しか見ていないことになるので、ルークは3つ目の教えをあえて口にしなかったという結論になります。

 

フォース(=世の中)は、ライドサイドとダークサイドから成り立っている。一方を否定することは、自分たちの存在をも否定することになる。

 

そのことを、「ジェダイの3つの教え」以外の場面で、ライトサイドの代表であるレイと、ダークサイド代表のカイロ・レンに間接的に伝えることで、フォースの真の姿を説いているというのは、考えすぎでしょうか。

 

このように考えることで、ジェダイの教え①、②とも整合性が取れてきます。

 

以上のようなことを、制作サイドが意図して、3つ目の教えをあえて入れなかった、と考えるのは少し飛躍しすぎのように思いますが、意図的であったにせよ、そうでなかったにせよ、言語学的な観点から見ると、3つ目の教えが欠落したことで、見事なほど、ルークは世の中の理を伝えているという結果になっているのです。

 

こうした偶然の産物が、結果的に、スターウォーズという映画の魅力をさらに引き立てているのも、目に見えない魔力がこの映画に宿っているとしか言いようがありません。

 

 

羽黒山参拝

仕事の先輩に、「東北でおすすめの観光スポットはどこですか?」と尋ねたところ、

 

出羽三山

 

と返ってきました。

 

どうやら修験場のようです。

 

うーん、何か大変そうなイメージがありましたが、とにかくシンクロニシティを信じて行ってみることに。

 

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入り口はこんな感じ。

 

そして、山頂までは徒歩でなんと60分!

 

当初はバスで山頂まで行く予定でしたが、はい、声が聞こえました。

 

「歩いて来てみれば?」

 

意を決して歩いて行くことに。

 

爺杉。樹齢1000年。

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さて、ここからが大変。

 

ツルンツルン、何回絡んだことか。

 

こーんな道や

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 あーんな道まで

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ただひたすらと歩く。

 

道があることのありがたさ。

 

通りすがる人との会話。都会ではあり得ない光景。

 

日々の当たり前のことが実は非日常であること。

 

一の坂、二の坂を超えて、そろそろ頂上かと思った頃、三の坂がやって来た。

 

人生と同じ。

 

一つの山を越えて、一息付き、また一山を超える。

 

要所要所で、すれ違いの人に声をかけてもらう。

 

苦しい時の神頼み、これは人頼み。

 

やっと頂上が見えて来たよ。

 

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山だけでなく、私生活でも滑りまくってる僕だけど、周りに支えられながら、日々人生という山を登れていることに感謝。

 

ありがとう、出羽三山、ありがとう東北。

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『上機嫌の本』(佐藤愛子)

昔からよく読んでいた遠藤周作さんの本の中によく出てきていた佐藤愛子さんの本です。

上機嫌の本(新装復刊)

 

本書の帯には以下のように記されているように、

不幸な結婚は私を作家にしてくれた。

借金は、金への執着から私を解き放ってくれた。

思うに委せぬ現実に突き当たることによって、私の価値観は少しずつ変わって行った。 

 

とんでもなく、苦労されていることが分かります。

 

たまたま、人生で良くないことが続いており、自分を見つめ直すために東北旅行に来たわけですが、ふらっと立ち寄ったコンビニで見つけ、気になり購入しました。

 

素直に、「世の中にはこれだけ苦労している人がいるんだから、自分の不幸なんでみみっちいもんだ」と思える本です。

 

山形の鶴岡市街で見つけたレトロな映画館。

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ランチには、美味しいステーキ丼をいただきました。

店の名前は、肉なんとか、、、忘れました(笑)

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『運がいいとき、「なに」が起こっているのか?』の言葉

石田久二さんのご著書、『運がいいとき、「なに」が起こっているのか?』に載っていた、以下の言葉が響きました。

 

「人生は大丈夫」と知っている人の住む世界

 

「喜び」→変化→成長→仲間→承認→地位→物質→安全

 

「人生は恐怖」だと思っている人の住むせかい

 

「恐怖」→安全→物質→地位→承認→仲間→成長→変化

 

確かに5年前までの自分は、「喜び」が最初にあり、気づいたら安全があった。

 

ところが、今は、安全を失うという「恐怖」が先行してしまっている。

 

これは、「喜び」をもう一回求めなさいというサインですね。

 

ありがとうございます。

 

運がいいとき、「なに」が起こっているのか?

運がいいとき、「なに」が起こっているのか?

 

 

 

スピリチュアル・自己啓発本の読み方

スピリチュアル関係や自己啓発本を見ると、「自分のワクワクに従おう」、「自分の好きなことだけやろう」、「嫌なことはやめよう」などの言葉が至る所で見られるようになりました。

 

これは、一昔前の日本では考えられなかったことです。

 

戦時中の、「欲しがりません勝つまでは」に始まり、「努力」、「がんばります」、など日本の教育では、「自分自身を抑え、他人のために尽くすこと」が美徳とされ、その教義の中心とされてきましたが、ここ10年ぐらいの間には、それらと真逆のことが言われるようになってきました。

 

これらの考え方は、ある意味では日本人を救うことになりました。自分を押し込め、他人のために尽くし過ぎることで、自分を見失った人たちがもう一度自分を取り戻すきっかけになっていると思います。

 

「ゲスい自分になろう」「他人ではなく自分を中心に生きよう」などのメッセージは、自分を責め、罪悪感などに悩まされている人たちにとっても、まさに「救い」の一言となっていることでしょう。

 

中には、浮気、離婚、不倫、いじめなどを肯定するスピリチュアル系の本までも見受けられます。

 

ここで、スピリチュアルがだめとか、何が良いとかの議論をするつもりはありません。スピリチュアル産業全盛期と言われるように、実際に多くの日本人が、こうした本を読み、新しい考えに触れることで、生きるのが楽になったという人も多いことでしょう。

 

ただし、大切なことは、こうした「わくわくすること」「楽しいこと」を実際に行うことで、「苦しいことやつらいことから脱する」ことはできますが、そこから「何かを生み出したり、発展していく」ためにはそれだけでは十分ではありません。

 

やはり、ある一定の「努力」とか「がんばる」ことが必要になってきます。

また、ある一定の「苦しみ」を経験することも大切です。

 

引き寄せの法則などを提唱している人たちは世の中にたくさんいて、そうした人たちが一様に言うことは、「わくわく」「楽しい」を優先しなさい、ということです。

 

これはこれで間違いではないですが、一番大切なことを見落とさないようにしてください。

 

こうした引き寄せを提唱していて、ある程度成功している人たちに共通することは、そこに行き着くまでに、相当の苦労をしていたり、人生の辛酸を嘗めてきたということです。

 

心理カウンセラーの心屋仁之◯さん、世界は自分で創るの◯appyさん、子宮委員長は◯さん、作家の本田◯さん、などもみんな壮絶な人生経験をされています。

 

そうした苦しみの中で、もがき、悩み、そして行き着いたのが今の境地だということです。

 

決して、最初から「好きなこと」「楽しいこと」だけをやっていて成功しているわけではないということです。

 

ですので、こうしたスピリチュアル的な考えを受け入れるときに大切なことは、「今のあなたの苦しい状況から逃げることが"成功"につながることはない」ということです。

 

「楽になる」ことはできます。「成功することはできない」ということです。

 

その違いを正確に把握しておかないと、自分の望んでいることは手に入らないでしょう。

 

先程、挙げさせていただいた方々は、間違いなく、今でも相当な「努力」をされています。その努力が彼ら風の言葉で言うと「ワクワクすること」になるのかもしれませんが。

 

そういう意味では、石田久二さんのご著書などは、成功するための「努力の仕方」が書かれていて参考になるかもしれません。

 

運がいいとき、「なに」が起こっているのか?

 

以上、参考になれば。